2022年4月8日
子育てパパ
私は今の旦那と同棲を初めて1年後、年齢も年齢だしという事で結婚をしました。
私も旦那もまわりでは結婚式を挙げている人は少なく、私が結婚式にそこまでの憧れは無く、お金もかかる事もあることから、その時はお金が貯まるまで結婚式はやらなくてもいいよねと話し合っていました。
また、指輪も欲しいものが無く、いいものがあればそのタイミングで購入を検討すればいいという事で、結婚をしても今までの生活とは特に何も変わりませんでした。
その後新婚生活1年ほど経過してから、共通の男性の友人と旦那が飲みにいくという事で私も同席することになりました。
しばらく最近の話をしていた中、その友人に結婚式の予定はないのか聞かれました。
その時に「ドレスは絶対着たほうがいい。」と言われました。
実は友人は離婚歴があります。
彼曰く「元妻は結婚式をやらないで、ドレスが着れなかったことを後悔し根に持ちながら家を出て行った。ドレスさえ着ていれば離婚はしなかった。」という事でした。
今後の参考にもなるため、話をよく聞いてみることにしました。
友人の元妻は、付き合ってからすぐに妊娠が発覚し、結婚してから間もなく出産、仕事をやめて専業主婦として過ごしていたそうです。
結婚式は、産後落ち着いたら行う予定で話をしていた時期もあったそうですが、予想以上に元妻が子育てばかりで、結婚式のことも言わなくなった為、次第に友人の頭の中から結婚式のことは無くなっていたそうです。
子育てがひと段落し、写真だけでもドレスを着たいと元奥様はその友人に持ちかけてきたそうです。友人は突然の持ちかけに驚いたそうです。
本人の主張としてですが、驚いたために「今更ドレスきても似合わないだろうし、やめておいたほうがいい。まだ若い頃だったら可愛かったけれど、今はもう疲れたおばちゃんだし。そんな姿を写真に残しても意味がない。第一その体系にあうドレスなんか見つからない。」と口が滑ったそうです。
口が滑るという事は、普段からそう考えていたから出る言葉であって自分に非はないと弁護を続ける姿に胸糞が悪い気持ちになりました。
もちろん元妻は激怒し、泣いてしまったそうです。
最終的には「産後落ち着いたら行う約束でずっと頑張ってきた。あなたから言い出してくれるのをずっと待っていた。ドレスを着るのは夢だった。好きでこんな体系になったのではない。自分のことは後回しにして、精一杯子育てをしてきた。」という内容を言って家を出て行ったそうです。
なんとなく感じてはいたけど、この友人は子育てや家事を完全に奥さんに丸投げをしているタイプでした。母になった奥さん一人の女性として扱っていませんでした。
「年齢は誰もが平等に重ねる。あなたも昔よりも老けて太った。父親としての自覚が足りないと感じるし女性への配慮が足りない」とやんわりと伝えましたが、本人はドレスが原因だと信じているのか、私の言葉が友人に響くことは無く別の話に変わってしまいました。
自分の夫がこのような外道な人間で無い事は分かっていますが、いつかドレスを着ておけばよかったと後悔する時が来るのかと、友人の発言や対応を見てとても不安になりました。
旦那は、私が出産を経験したら、同じように変わってしまうのだろうかと。
とはいえ、自分の年齢もあるためそろそろ子供が欲しいと考えていた時期ではありました。
それから数日後に旦那が「簡単でもいいから式を挙げよう。式を挙げる為に指輪
買おう。」そう提案してきたのです。
私があの友人の話からずっと不安がっていた事を感じていたそうです。
きちんと私を見てくれて考えてくれたことが純粋に嬉しく、改めてプロポーズを受けた気分になりました。
簡単な式が出来る所を探し、見学に行きそこで手続きを済ませました。
こだわりがあまり無かった為2人だけの式や写真だけでも良かったのですが、せっかくなので親と兄弟だけは招待しようという事に決まり、素敵なドレスもあり、結婚式の準備でよく聞く喧嘩も無く、お互いが気に入った指輪も購入し、とんとん拍子で1ヶ月半後に無事に結婚式を挙げる事ができました。
そして結婚式から3か月後、私の妊娠が発覚しました。
幸せで満たされていましたが、あの友人の発言の嫌な思い出が私の頭の中にモヤモヤと蘇って来る事が分かりました。
今でこそ、イクメンパパはよく聞くようになりましたが、この時はイクメンという言葉が出始めた頃でしたので男性向けの育児書や、ネットでもイクメンについての情報が今ほど無く、どうしたら子育てを主体的に行い子供の成長を一緒に楽しめるパパになるか考えるようになりました。イクメンパパ計画が開始されました。
女性は妊娠生活で少しずつ母になる準備をしていると言われていますが、旦那にも生まれてくる前から少しずつパパになる準備を整えておく事が必要だと考えました。
ママ向けの教室を行っている病院は沢山ありましたし、特にプレママ教室は出産する病院では参加が必須になっている事もありました。一方、プレパパ教室は任意でした。
出産や子育てについては私もよくわからない事だらけという事や、パパにしかできない事もあるからと話をして、プレパパ教室に予約を取ることになりました。
プレパパ教室は妊娠後期前から受講出来るようになるため、それまでは2人一緒に妊娠から産後の雑誌を読むようにしたり、名前に使いたい漢字はあるのか、明るい子、頭の良い子、優しい子、どういう子に育てたいかお互いの理想を話したり、怒るときはどちらかのみで、どちらかは子供の逃げ道として優しくしていようなどの躾に対する役割分担、習い事や娯楽、おもちゃはどういうのがいいのか、子供の学資保険はどうするか、その時になってみないと分からない事までも「想像をして具体的に」「わからないことはその場で一緒に調べて」を徹底しながら話すようにしていました。
妊娠後期のプレパパ教室の時期に先生に「今日このタイミングからパパはどんな事よりもママの出産のサポートに徹底する意識を付けること。出産中のパパの失言や失敗は一生恨まれることになる。」など相当脅された事でびびってしまうお父さんもいたそうですが、妊娠初期からずっとパパになるための心得を考え実行してきた甲斐もあってか、プレパパ意識評価では先生に太鼓判を押されたそうで、練習用にと渡された新生児用の小さなおむつを持ってドヤ顔で帰って来ました。
よほど褒められた事が嬉しかったのか、テーマパークで購入した新生児位の大きさのぬいぐるみでおむつの替え方や沐浴方法を披露してきたり、一人でイメージトレーニングをしていました。
そして生まれてくる子供に早く会いたいという気持ちを、毎日共有していました。
出産予定日の昼頃に陣痛が起こりはじめましたが、初産は時間もかかる上に痛みも我慢できる位だったことで、生まれるのは明日の朝くらいになるかなーと自宅でのんびり過ごしながら旦那に連絡をしたところ旦那はすぐに仕事を切り上げ、私の分の軽食を購入し、帰宅して私と一緒にその時まで待つことを選んでくれました。
旦那は父親になる準備は万全でした。
自宅でその時まで待っている間もスーツを着ている旦那。
いよいよ出産に挑む病院にも「子供に会うから、これを着ていく」と言いスーツで立ち合いに挑んでいました。私のマッサージする時には片膝をついてサポートをしていた為か、いつの間にか旦那のスラックスの片膝は擦り切れていました。
生まれて最初の父としての言葉は「初めまして。生まれてきてくれてありがとう、僕を父親にしてくれてありがとう。」と汗なのか涙なのかわからない顔と、ワイシャツをまくり上げ、片膝が擦り切れたズボンを履いた旦那を見て、この人なら大丈夫とそれまで心のどこかにあった不安はすべてなくなり、心から子供の誕生や将来を一緒に喜べた事を覚えています。
落ちついてから気になっていたスーツについて聞いたところ、「これから生まれてくる赤ちゃんも痛い思いをして生まれてくると知った。家族の中で自分だけ痛みが無い。これから命がけで頑張る二人に失礼が無いようにするにはと自分なりに考えた結果スーツを選んでいた。」ということでした。
出産を終えた時から翌日の朝まで、私自身産後のハイ状態になってしまい一睡も寝ることが出来ませんでした。病室は清掃が行き届いておりましたが、ほのかに新生児の落ち着く良いにおいが香っていた為、それがより私の目を覚醒していたのかと思います。
スピード出産ではありましたが、朝までは絶対安静という事でずっとベッドに横になりながら、つい先ほど生まれたばかりの子供の写真を眺めたり、私にも産めたと何度も感動したり、子供を思い出してついに母親になったのだと実感したり、陣痛から今に至るまでを細かくメモをしたりしていました。
朝になると子供とママ指導や食事以外の時間は子供と過ごす事が許可される為、面会が出来る時間になった瞬間に、足早に子供を新生児室へ向かいに行きました。
しかし出産、貧血、寝不足が原因で私自身が思っている以上に体力が消耗され点滴を打ちながらフラフラと倒れそうな状態で歩いていたらしく「今はハイになっているから歩けているだけなので、30分面会をしたらもう一度新生児室に赤ちゃんを預けて、ママは点滴を追加するので、寝るように。」と看護師さんから指導を受けてしまいました。
倒れそうなほど自分の体が辛い状況でも、子供と片時も離れたくないという母性のような感情が芽生えていたことに驚きました。
全国的に見ても大きな産院だった事もあり新生児室には30人ほどの赤ちゃんが、ベビーコットという可動式のプラスチック製のベッドで並んで寝ていました。
小さな赤ちゃんがきちんと並んでいるというだけでも、笑ってしまうくらい可愛いかったです。出産前までは、新生児はみんな同じ顔をしていると思っていましたが実際はすでに顔や体系、髪形や動きに個性がありました。携帯で一晩中見続けた顔を見つけ急いで、手続きを済ませました。顔の浮腫みが取れ昨日よりもすっきりして、白く柔らかそうなタオルをかけてもらい、すやすやと気持ちよさそうに寝ていました。
約束通り30分の間に抱っこしたり、まだ数滴しか出ない母乳をあげてみたり、おむつを替えたり、寝ているだけの我が子の顔を違うアングルから100枚ほど写真を撮り、体感3分ほどの短い30分が終わりました。病室に戻りすべて旦那と両親に送り私はやっと深い眠りにつくことが出来ました。
昼食過ぎに空腹から目が覚めたところ、机には昼ご飯とおやつが置かれており、それをしっかりとすべて平らげて子供の元に急ぎました。
夕方ごろ旦那は仕事を早退し病院に面会に着ました。
昨日とは別のスーツを着て面会に着ました。昨日のスーツは、スラックスが破けてしまっているので、残念ながら着れなくなってしまったそうですが、初めて父親になったときの思い出という事で残しておくと、嬉しそうに話していました。
新生児室からベビーコットに乗せた子供を連れてきたときに、旦那の目じりが下がるのがわかりました。ベビーコットでモゾモゾ動く子供をじっと黙って見つめていました。
じっと見つめる事数分後に
「昨日帰宅してから、ずっと会いたかった。一生見ていられる。」と話し始めました。
同じタイミングで面会に来ている方もいましたが、どのパパも黙ってじっと子供を見つめていました。私はオムツを1つ取り出し「プレパパ教室の練習の成果を見せるとき。」と旦那におむつを渡しました。
旦那は結婚指輪や時計やカフスなど、抱っこをするときに傷つけてしまいそうな物をすべて外していました。オムツを受け取り、豆腐を触るかのように、息を止め恐る恐るお尻を持ち上げ、下におむつを敷きました。これだけで旦那は汗だくになっていました。
次に何をするか忘れてしまったのか、少し考えてから、練習通りにテープを外し古いオムツを取り、新しいオムツを付けることに成功しました。パパ初めてのおむつ替え完了の瞬間でした。
オムツを変えるくらいだけなのに、笑ってしまうくらいの汗具合に「どうだった?」ときいたところ、「手の力の入れ方が分からなくて緊張した。当たり前だけどぬいぐるみとは訳が違う。」と無事交換ができた安堵の表情をしていました。
初めてのおむつ替えは動画にも残しましたが見返すと、画面越しにも緊張感が伝わる仕上がりになっています。それでも初めてのおむつ替えはみんなそうなのでしょう。
実は、この時に一緒に入院生活を行っていたママ達とは今でも交流があります。
汗だくで真剣におむつ替えの練習をしている旦那と、それをじっとカメラを向けながら見つめる私を、その時にいたほかのママやパパ達は見ていたそうです。
最初から、パパにも育児に参加させようとする心意気が違っていた。やってくれるだろうと考えていたけど違った。やってとお願いしないとやってくれない。自分もあれくらいやっておけば良かった…と今でも話題になります。
「自分の旦那は何もしてくれない。」という方や、「イクメン寄りだと思っていたけど私の旦那を見たり、聞いたりすると大した事無い。」と感じるそうです。
その後も旦那は抱っこをしたり、話しかけたりしていましたがお腹が空いた為に泣き出しました。ついにミルクの時間です。
このままミルクを上げられるか聞いたところ、この状態だとグニャグニャで片手で体と頭を支えて、片手で哺乳瓶を持つのは怖いと逃げ腰だったので、一度子供をベビーコットに置き、病院に置かれている高反発の固めの授乳クッションを旦那の腰に巻いて、再度ベビーコットから子供を持ち上げ、授乳クッションにそっと子供を置き抱っこをしてもらいました。
これなら何もないよりも簡単にあげられそう!と言ってはいましたが、軽くて小さくて壊れそうで、それでもしっかりと支えて抱っこをしないといけないので、一体どこの筋肉を使えばいいか分からず、3kgしかない子供を20分ほど抱っこしただけで翌日は筋肉痛になったそうです。
旦那に抱っこをしてもらっている間に急いでミルクを作り、哺乳瓶の空気が抜ける穴の位置や角度を説明し、さっそくミルクをあげてもらいました。
ミルクについては、プレパパ教室で作り方を教えてもらったり、ミルクの試飲をしたらしいのですが、実技練習は無かったようでオムツを変え以上に出来るか不安だと緊張していました。
つりそうな腕や背中との闘いの中でも少しでも長く抱っこをしていたいという気持ち、抱っこで伝わる赤ちゃんの体温で旦那の汗は、止まる気配はありませんでした。
子供本人はというとすんなりと哺乳瓶に食いつき、ゴクゴクと旦那を見ながら美味しそうにパパからもらうミルクを飲んでいました。初めてのミルクは大成功でした。
「パパだよー、ミルク美味しい?」と話しかけてみたり、ミルクをあげるときに咥える裏側の部分がパクパクするのが可愛い、吸われているのが瓶越しでもわかる、赤ちゃんって本当に赤い、手の表面が乾燥している、爪が小さくて切るのが怖い、足が小さくて可愛い、肌のキメが細かくて毛穴が見えない、モゾモゾ動いて可愛い、などいろいろと感想を言っていました。
生まれる前から何度もオムツ替えの練習をしていたから心構えが違っていたのか、士気が上がっているタイミングでやってもらう事で本人の自信にもなったのか、入院中の面会時には必ずオムツを変えてミルクをあげる練習を進んでやりたがっていました。
退院間近には、面会にきたら私の飲み物と私が座るようの円座クッションを椅子に置き、ミルクをあげるときに使用する授乳クッションを自分のお腹に巻いて待機していました。
産前、産後と着々とイクメン計画が遂行され、いよいよ退院日を迎えることになりました。
自宅での育児がはじまります。
朝食後、私はゆっくり朝風呂(シャワー)に入り身支度を整えました。お腹は6か月くらいまでは凹んでいましたが、よりにもよって退院日に象のように足がむくんでしまい、退院用にと用意した服が入らず、仕方なく入院する時に着てきたゆとりのある服を着て帰ることになりました。
子供用の退院着を新生児室に預け、退院前最後の産後検診を終えて、あとは子供と会計の担当者を病室で待っていました。
この時まだ退院時間までは30分ほどありましたが、旦那はやることがあるからと、既に病院の駐車場に着いていました。
30分後、面会室まで旦那が迎えに来たタイミングで、可愛くおめかしした子供がベビーコットに乗せられてやってきました。こんなかわいい事これから毎日一緒にいれるのだと、胸が熱くなって何とも言えない気持ちになったのを覚えています。
写真撮影を終わらせると、子供は看護師さんにベビーコットの中でしっかりとおくるみに包まれていました。生まれた時から寝ていたこのベビーコットともお別れです。
余談ですが、ベビーコットはレンタルがあれば確実に借りていた、と言い切れる位便利でした。
病院の担当者はチャイルドシートに赤ちゃんをのせるまでしっかりと着いてきてくれました。車を開けてもらうと、車内はきれいに掃除されていて、ベビー用のおもちゃがチャイルドシートの上にぶら下げられていました。早めに病院にきて掃除していたのだとわかりました。
自身の入院グッズ、お土産の病院からベビーグッズのサンプルやそれまで使っていた残りも持ち帰る為、車はパンパンでした。
行きは2人だったのに帰りは3人という現実が、まだ信じられませんでした。
新生児時期の一か月は基本的に外出が出来ないので、旦那の次の休みまでは色々と不足しそうなミルクやおむつ、病院で初めて存在を知った搾乳機と、産後からずっと私を支えてくれた相棒である円座クッションを購入しに行きました。
ずっと円座クッションが、ベビーやマタニティ用品で売られている意味が分かりませんでしたが、その時はもうハッキリとわかっていました。
足早に買い物を終え、自宅に到着しました。
「おかえり。ここがお家だよ。」旦那は子供に向けてゆっくりと語りかけていました。
部屋もきれいに片づけられ、隅々まで掃除がされていました。
ハイローチェアを購入していた為、ベビーベッドは不要だと考えて購入はしておりませんでしたが、床には家にはなかったはずの布団が敷かれ、シーツの上にタオルが置かれていました。昼間でも子供と並んで横になりたいと、私が入院中に旦那が購入したとの事でした。
そっと布団の上に置くと、目が覚めてしまったので弱々しく泣いてしまいました。
旦那は手を洗いに行きしっかりとうがいをしてから、病院でもらったお土産の袋からオムツを取り出し、「オムツ変えようね。」といそいそと交換を始めました。
オムツを変えても泣き止まない為、旦那が徐々に焦りはじめてミルク作ってみようかなとお湯を沸かしにキッチンへ行きました。ミルク作りはプレパパ教室で一度やったきりですので、子供を抱っこしながらキッチンを覗いていました。
子供が泣いているため焦っていたのか、新しい哺乳瓶に一杯目を入れた直後に粉を少しこぼしてしまい、この世の終わりのような表情をしていました。
「この場合はどうしたらいい?」哺乳瓶に一度入れた粉ミルクはもう缶には戻せないからそのまま1杯という事でいいよと伝えると、ほっとした表情をして汗をかきながらミルク作りを再開していました。
ミルク初作りにありがちな人肌程度の「程度」が分からず、何度も何度もミルクの温度チェックをして、時間をかけた「究極の人肌程度のミルク」が完成されていました。
新米パパがとても頑張って作ってくれていたので、
実は月年齢が低い子は、人肌よりも温かい60度から70度くらいのミルクのほうが飲みやすいのだよと看護師さんに教えられた知識は、「すっかり忘れていた!」という事で夜にでも伝える事にしました。
そんな生活を続けながら、比較的よく寝る子だったので昼寝のタイミングで一緒に寝たりしながら自身の睡眠はとれていましたが、寝る事で家事が上手く回らず、泣き止まないなどのストレスで徐々に疲れがたまり始め、少しでもいいから外に出たいと思うようになりました。
平日に早めに帰宅した旦那が「子供見ているから少しカフェとかちょっと何かブラブラしてきたら?」と提案をしてきてくれました。一か月検診はまだ先なので絶対に外に出てはいけないと思い込んでいましたが、私一人だったら外に出てもいいのだと当たり前の事にさえ目から鱗でした。それだけ思い詰めていたのかもしれません。
「アレどこにあるの?」「泣き止まなくて困った!」の連絡は、日々育児に参加していた為一切なく、逆に連絡がないことがさみしくなってしまい数分置きに「お利口にしてる?」「何してる?」「泣いてない?」と連絡をしていました。旦那はその度に子供の写真を送ってきてくれました。
子供が気になって何も楽しめないと分かり、本屋で雑誌と絵本を買って帰宅をしました。
私が買ってきた絵本を旦那が子供に読み聞かせている隣で、雑誌を読むのがこんなにも幸せなのかと感じました。
子供がお昼寝を始めた時に旦那が
「家事とかやりたいものだけやればいいよ。一日何もできなければ帰ってきたら自分がやる。赤ちゃんのお世話は家事よりも大切、仕事と家事を合わせてもそれ以上に大変。掃除や洗濯は夜に出来るし、やらなくても死ぬわけじゃない。料理がストレス発散なら土日に子供は自分が見るから、そのタイミングで楽しんでやればいいよ。土日でも料理が疲れてできないときは自分が作ってもいいし、何か買ってきたりもできるよ。」
そして旦那は続けて「生まれる前からずっと赤ちゃんについていろいろ調べて、わかりやすく教えてくれていたから、もっと育児を知りたいと思った。知れば知るほど本当に大変なのが分かったし、ママだから出来る事もあればパパだから出来ることもある。ほとんどは親なら出来るよ。まだ数日間だけど実際に一緒に暮らして、全身が筋肉痛になっても待ったなしで終わりの無い育児の大変さを実感した。まだ産後で体調も万全じゃないのに、健康な自分と同じ仕事量では体も気持ちも持たない。」という内容を話してきてくれました。
たった数日で育児書通りにいかない育児に参ってしまっていた為、旦那の気遣いに私は嬉しくて大泣きでした。
妊娠が発覚した時に、どうしたら育児に参加をしてくれるかと考え試行錯誤しながらパパになる準備を促していました。私が頑張って旦那をイクメンに仕立てた!と思っていました。しかしそれは違っていたと思います。
実は、私は一度も「主体的に育児を行ってくれるイクメンになってほしい」と言葉では言っていません。「主体的に育児を行ってくれるパパになってほしい」願望に対して、私が考えた行動や気持ちを汲んで、旦那なりに考えて行動していった旦那本人の努力の賜物でした。
きっかけは私だったとしても、そのきっかけから「自分はパパになる。パパとして仕事で家族を支えるのは勿論、家庭内では何が出来るだろう。」と考えてくれていたのです。
子供が生まれた時に母親になったとしても、はっきりと母親になれていると自覚したのは毎日お世話をする日々が続き、子供が1歳を迎えたあたりでした。
母親も父親も、子供の成長とともに親として成長していくものなのかと考えます。
勉強でも趣味でも継続することで出来るようになるのと一緒で、イクメンはその時や気分だけでなれるものではなく、日々育児に参加する事でいつの間にかイクメンになっているものなのでしょう。
出産を控えている方、旦那が育児に参加してくれないと思っている方
旦那のやる気の出し方を見定めてイクメン計画をしてみてはいかがでしょうか。